イチロー:僕はいままで、矢沢さんのように50歳を越えられた方、あるいは40歳を越えられた方とお会いしてきました。まぁ様々な40代、50代の方々とお話をさせていただいて、感じていたことがあるんですよ。それはなにかというと、その年代で、失礼ですけど魅力のない方って、もう自分が行くところまで行っちゃったみたいなんです。若い人に対して、ちょっと上からものをいってくるんですね。
矢沢:うん、うん。
イチロー:そういう方たちは、なんか上からものを言う姿勢で来られる傾向があるんですよね。自分は、世の中のことをたくさん知っている。いろんな経験を重ねてきている。だから、なんでも聞きなさい。私は教えてあげるよ、っていうようなスタンスなんです。そういうスタンスで来られると、「あぁなんか、この人限界なんだろうなあ!」って思うんです。
矢沢:なるほどね。
イチロー:それとは逆に、輝いている人って、常にさらなる上を目指している。常に誰とでも対等。いくら歳が違っても、常に目線を僕らと同じところまで持ってきてくれる、そんな懐の大きさがあるんですよね。それが、まさに矢沢さん。いまたった、これだけの短い時間、お話させていただいているだけでも感じるんですけど。
自分は輝いているのか?|今野誠一の“マングローブ的生き方”ブログ|今野誠一のコミュニティサイト MG-NET+ (via mxcxrxjapan)
2011-09-08
(via rosarosa-over100notes)
(via hsmt)
その「戦後民主主義」のなかで育った子供たちがまだ死なない短いあいだに、日本はまた
「きみの生命より大事なものがある」という声がおおきく反響する国にもどってしまった。
外国人たちの、東北震災に対する腰折れたような奇妙な反応は、マンガやアニメを通じて、当然のように自分達と同じ価値観をもった人間なのだ、と思っていた日本人たちが、
突然、「放射能を正しく恐れる」というような訳のわからない理屈をいいだして、困惑しているからだと思う。
日本の人は遠くから見ていると「絶対に嘘と証明できない嘘」を全精力で築きあげる、という世界に有名な悪癖を発揮しだしたようにみえる。
放射能を恐れて、右往左往してみえる「愚民」たちを、「科学的な事実」や「国への責任」をふりまわして、こづきまわすひとびとの口調は、わしらにとっては、いつか見た光景、倒れた敵兵の捕虜を足蹴にし、銃剣の練習台にして虐殺し、若い女とみれば強姦して、実はお互いのあいだでも徹底的な暴力の恐怖をもって対しあっていた戦争中の軍服を着たサディストそっくりです。
なんだか、友達だと信じていたひとが、自分には到底理解できない人間だったとわかってしまったときのような、奇妙な、まだどうしても信じられないような、寂しい感じがしているのだと思います。
360 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/09/09(金) 10:33:40.17
「結婚すれば幸せになれる」ではなく、
「結婚しないで幸せになれる気がついにしなかった」が正確だと思う。
結婚する前は、当然結婚を経験してないから、
結婚が何をもたらすか正確には知る事ができない。
しかし結婚する前でも、独身は経験しているから、このまま
独身を通せばどうなるか、想像する事は可能。
そしてその独身の延長線上にある未来に、NOを付けた。
だから結婚した。
経験してもいない結婚にYESじゃない。
経験してきた独身とその未来にNOなんだ。
多分多くの男女がそうではないかと思う。
さっきFacebookを見たら、知り合いの女の子が梅田で数人ではしゃいでいる写真がアップされていた。
率直な感想が、「うわ、うらやまし」だった。
というのも、その間自分がしていた事は家のパソコンで一人画像を見ながらオナ○ーだったから。
このギャップ。現実のギャップに落ち込む。リア充への憧憬は隠せない。
これは確かなことだ。嘘はない。でも、なんか違うんだよな。本当のことを言うと、違う。なかなか理解されないけど、この憧れというのは、「自分もその場に居合わせたい!」という願望ではない。「自分も女の子と一緒にはしゃぎたい!」というのとは、実際は違う。そこに落ち込んでいるのではない。リア充と僕の隔絶は、そこではない。
僕は、リア充にはなれない。それは、「土曜のこの時間に女の子と一緒にはしゃいでいないから」ではないのだ。そして、僕がリア充に憧れているのは、今の自分のこの状況に悔やんでいるからではない。では、なんなのか。
今まで何度も経験したこの感じ。大学の人達と飲みに行ったとき、朝までカラオケをした。6人か7人ぐらいで、ノリがいい男2人と僕と、女の子4人だったかな、忘れた。飲みに行って、その後カラオケ、よくある事だ。その後にも何度かあった。
ぜんぜんたのしくないんだよな。
女の子が不細工だとかそういうことではない。曲が合わないとか会話に入れないとか、そういうのも関係ない。そんなに言うほど仲いい人たちじゃないとか、そういうのも違う。男ばかりだったらとか、女ばかりだったらとか、そいうのも関係ない。ただ、こうやって集まって盛り上がるとかが鬱陶しい。自分は一人で居るほうが気が楽だ。本当に、経験するたびに思う。そういう自分に気づく。でも、誘われたら行く。なぜなら、リア充に憧憬があるから。でも、そのたびにまた現実にぶち当たる。馴染めない。
自分がリア充になれないのは、そういう環境に身を置けないからではなく、その状況を良いと思えないことにある。
僕が憧れているのは、僕が羨ましいのは、「その状況を楽しいと思えることそのもの」だった。
結果の余りの「悲惨さ」に、彼女自身一ヶ月余り
心神喪失状態になった、とも言われている。
事の発端は、とある将軍が、
「戦場よりもナイチンゲールの戦傷者看護の方が兵士が死亡してる」
と揶揄したことに始まる。
当然、ナイチンゲールは反発。件の将軍に反論する為、統計学を編み出し
自分の看護の方が、多くの兵士を救ってると自ら証明しようとした。
しかし、結果は将軍の言うとおり、病院での看護の方が戦場よりも
傷病兵の致死率が極めて高いことが明らかになってしまう。
ナイチンゲールはショックの余り心神喪失状態になった・・・
でもそこから始まるンだよね、彼女が偉大である話は
何が間違っていたか、模索し始めるんだ、諦める事無く
そして、今では基本中の基本的な事実にたどり着く
「汚れたシーツに患者を寝かすのは駄目」
「汚れた包帯の使いまわしも駄目」
要するに二次感染が、病院での致死率を高めている事に
彼女自身、気がつき自己解決していったんだよね・・・
看護婦といえばシーツの御洗濯って原風景は
こうして生まれた。
その後のホモのセリフ 「お嬢さん、早く逃げな」 かっこ良かった。
正義のホモだった。
人はミスするのが当たり前。ミスは叱るものではなくて、ミスはチームでカバーするもの。
笑う人には余裕があります。
親でも社員でも
「もともと人はミスをする前提で動く」
「ミスはマイナスでもぐちぐち叱る時間よりすぐ取り返す行動や対策に移る」
「みんなに平等は求めず、笑いを求め、個人それぞれのベストが伸びればチーム全体の結果が伸びる」
「そのときのベストを尽くせば完璧でなくてもOK。それでできないならやり方を変える。」
「ジュースをこぼしたらもう終わりじゃない、商品を倒したらもう終わりじゃない。
そこから自分たちがどう動くかがむしろチーム力の発揮しどころ。」
そのバイトで僕らはミスしたら
すぐさまその場でコンテニューして
誰かがカバーできないかとか別の手をうつだけなのに、
叱る社員はそこでゲームオーバーにして
また最初からノーミスでやり直しだとかいうから
無駄に落ち込みますし、モチベーションも相当下がってました。
もちろん、子供が悪いことしたり、店員が犯罪をしたら叱るのは当然です。
しかし、子どもが善意でうごいて失敗したり、
店員が一生懸命働いた末のミスを叱るというのはデメリットのような気がします。*1

